線維筋痛症

線維筋痛症を乗り越え、ミュージシャンとして復活!

20代半ばで体調を崩した私は、病院や代替医療機関を転々とし、検査を受け続け、体調が悪い原因を探すこと8年。やっと病名が付けられた時には、精神的に既に絶望感がひどく、「早くこの人生が終わってほしい」とすら思っていました。体が言うことを聞かなくなり、32歳で大好きな音楽も断念していたのです。

ある病院でつけられた病名は、「線維筋痛症」。海外では難病指定にもなっている病気でした。

しかし、お医者さんに言われた言葉は、「治療法は今のところありません」でした。

益々絶望するかと思いきや、私はなぜかほっとしたのを覚えています。

病院を転々としている時期に、「今ある医療では治るものではないのかもしれない、検査や数値で判明するものではないのかもしれない、もっと他の知らない領域があるのかもしれない、新しい何かに出会う必要があるのかもしれない、、、」そう感じていたからです。

そこから少し視点を変え、今までにないような、聞いたこともないようなところを探そう!そう思って出会ったのが、仙台ゲゼンハイトカイロプラクティックオフィスでした。

そして、カイロプラクティック・ケアを受け始めてから、8年が経ちました。

ゲゼンハイトに出会うまでの私とは雲泥の差、下を向いて歩いていたあの頃の自分を思い出すのも難しいくらいです。

できるようになったことを挙げたらキリがないのですが、できなかったことではなく、できるようになったことを、一部挙げたいと思います。

・長い時間、歩けるようになった

・青信号が変わる時に急いで渡れるようになった

・運動ができるようになった

・重たいものが持てるようになった

・先のことを気にせずに友人と遊ぶ約束ができるようになった

・旅行できるようになった

・眠れるようになった

・眠ったら、昨日のことを忘れられるようになった

・美味しく食べられるようになった(過食や拒食がなくなった)

・お酒もタバコもやめることができた

・ピアノが弾けるようになった

・また歌えるようになった

・またライブができるようになった

・ライブの次の日も体調を気にせず元気に過ごせるようになった

・明るく笑えるようになった

・過去や未来ではなく、今を意識できるようになった

・「楽しい!」がわかるようになった

・自分に自信が持てるようになった

・少し無理がきくようになった

・やりたいことをやりたい時にできるようになった

・自分の体を大切にする意識を持つようになった

・自分を労わることを意識できるようになった

・体をメンテナンスするという意識を持つようになった

・自分のことだけでなく、家族や大切な人の健康も大切だと思うようになった

・今ベストのパフォーマンスを出せる、という自分への信頼を持てるようになった

・自分の奥底にある「恐れ」を見つけて手放せるようになった

などなど、、、

そして、一番嬉しいのは、「私が本来の自分を取り戻し、クリエイティブに毎日を生きれるようになったこと」です!

絶望感でいっぱいだった頃の私とは、本当に雲泥の差。自分の人生を諦めなくて本当に良かったと思います。そして、病気になって、本当に良かったと思います。病気は自分を成長させてくれるもの、何か大切なことに気づかせてくれるもの。

この復活のプロセスを大切に、そして自分を大切に、これからもカイロプラクティック・ケアを受け続け、ゲゼンハイトの皆さんにサポートしてもらいながら、全開の人生を送っていきたいと思っています。

 

40代・宮城県・女性・シンガーソングライター